二十四輩第二十 慈善

常弘寺じょうこうじ

<t_040>常弘寺

開基・慈善じぜんは、俗名を壷井大学頭つぼいだいがくのかみ橘重義たちばなしげよしといい後鳥羽院の朝臣あそんであった。だが讒言によって、京を追われる身となったと伝えられている。

太子堂での夢告

寺伝によると、正治元(1199)年、壷井重義は京を下り諸国を巡る旅に出たという。武蔵国と相模国を経て常陸国に入り、玉川沿いの太子堂にたどり着いた重義は、ここで一夜を明かすことになった。夜半になって枕辺に聖徳太子が現れ、「これより西南に高僧がおられ説法をなさっている。そのかたは阿弥陀如来の化身である。汝よ、早く行って教法きょうぼうを聞くがよい」と夢告を受けたのである。重義はこの指示に従い、稲田の親鸞聖人を訪ね教えを聞き帰依し、慈善という法名を賜ったという。建保3(1215)年のことと伝えられている。
太子堂にて念仏の日々を過ごした慈善は、後に嘉禄元(1225)年、親鸞聖人より常弘寺の号を賜り、この地に仏閣を建立したと伝えられる。
慈善は、文学に秀で歌道を嗜んだという。
「大谷の清き教の名を残すこれぞ誠の法の玉川」
と、浄土真宗の教えを喜び、詠んだ歌が伝わっている。

橘寺の聖徳太子像

常弘寺の前身となった太子堂は、古くからこの地にあったといわれている。寺伝によれば、孝徳天皇の時代の大化元(645)年に、大和国の橘寺たちばなでらより、聖徳太子自作の尊像が常陸国へと移され、当地に創設されたと伝えられる。この太子堂は、平安末期から鎌倉初期にかけて、常陸国奥郡おうぐん(常陸国那珂川以北の七郡)に勢力をもっていた佐竹氏から、篤く尊崇されていたと伝えられている。
現在、常弘寺には県の文化財に指定されている聖徳太子立像が本堂の左余間に安置されている。

『親鸞聖人 関東ご旧跡ガイド』(本願寺出版社)より引用

正式名称 玉川山宝寿院 常弘寺
住所 茨城県常陸大宮市石沢1467
アクセス 常磐自動車道那珂ICを出て、国道118号線を約7キロ北上し、第二中学校入口を左折。中学校をまわるように移動すると若草幼稚園の看板と常弘寺の看板が見えるので、そこを左折。
駐車場 普通車100台
参拝 事前連絡が必要
お問合せ TEL 0295-52-2807

二十四輩寺院