二十四輩第六 成然

妙安寺みょうあんじ(三村)

<t_010>妙安寺

親鸞聖人の直弟子の成然は、一ノ谷に妙安寺を建て、次いで三村にも布教の拠点を置いた。
寺伝によれば、もともと三村には、聖徳太子が創立したとされる三論宗さんろんしゅう最頂院葛城寺という寺があった。成然は、この地に寺を建立するようにと、聖徳太子の夢告を受け、天福元(1233)年、堂宇を改めて妙安寺としたと伝えられる。

九条兼実の子という伝承

三村の妙安寺の記録によると、開基・成然の俗姓は、関白・九条兼実かねざねの十男・中村幸実ゆきざねであると伝えられる。また幸実は、親鸞聖人の妻と伝承されてきた玉日姫の兄とみる説もある。
成然は下総国猿島境に流罪になっていたが、近くの常陸国稲田に旧知の親鸞聖人がいることを知り、早速訪ねてその教えを受け、弟子となったという。

サシマ常念坊

大谷廟堂が、覚信尼から関東の門弟たちへ寄進されたときに、寄進状が三通出されているが、うち一通は「下総国サシマ常念坊」宛となっている。
三村妙安寺は一ノ谷妙安寺とともに旧猿島さしま郡にあるため、この「常念」は成然のことと推定されている。
成然が猿島を拠点に活動していたことや、関東の門弟たちの間で重要な立場にいたことが、そこにうかがえる。

聖人御自刻の寿像

親鸞聖人は関東から京都へ帰る折に、相模国国府津こうづまで随行してきた成然に対し、別れにあたり、関東に留まり人々を教化するようにと告げたという。その折に北条氏より寄付された霊木で自らの寿像じゅぞうを刻み、これを形見として与え、有縁の地に一宇を建立し妙安寺と名づけるようにと告げて、帰洛の途に就いたと伝えられる。
この寿像は後に、本願寺の東西の分立にともない、教如の要望により京都の東本願寺に遷座されている。
寺宝に鎌倉後期作とされる「聖徳太子絵伝」四幅(国重文)が伝わる。また室町期の作といわれる「聖徳太子立像」も所蔵されている。

『親鸞聖人 関東ご旧跡ガイド』(本願寺出版社)より引用

正式名称 一谷山最頂院 妙安寺
住所 茨城県坂東市みむら1793
アクセス 車:圏央道「境古河I.C」・「坂東I.C」より10分。常磐道「谷和原I.C」より40分。
電車:東武野田線「川間」駅よりタクシー25分。つくばエクスプレス「守谷」駅よりタクシー40分。
バス:野田駅・守谷駅より「岩井バスターミナル行」バスで「岩井郵便局前停留所」で下車し、タクシー5分。
駐車場 普通車50台(大型バス可)
参拝 事前連絡が必要
お問合せ TEL 0297-34-3116
URL http://www.myouanji.net

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