二十四輩第十八 入信(八田)

常福寺じょうふくじ

<t_036>常福寺

寺伝によれば、入信にゅうしんの俗姓は、八田民部卿はったみんぶのかみ朝範とものりの息男・八田七郎知朝ともあさと伝えられ、常陸国那珂郡八田(茨城県常陸大宮市八田)の領主であったという。

建保四年の創建

知朝は武勇の誉れがあったものの、仏道を求める道を志したといわれる。親鸞聖人が稲田の禅坊を中心に各地を布教されていた頃のこと。聖人が八田領内の太子堂に参拝されたとき、その高名を聞いた知朝は早速会いに行き、出離しゅつりの道を問い尋ねたという。その教えを聞いた知朝は、たちどころに聖人の弟子となり、入信という法名を授かったと伝えられる。
入信はすぐに家屋を仏閣に改修し、八田の地に一宇を建立し常福寺と号した。ときに建保4(1216)年のことであったという。
寺伝によると入信は、帰洛した親鸞聖人の跡を慕い、嘉禎3(1237)年、尾張国日比野(一宮市浅井町大日比野)の運善寺にて往生を遂げたと伝えられている。

八田一族と浄土信仰

常陸の豪族八田一族には、阿弥陀仏信仰を持つ者が多く、常陸の守護であった八田知家ともいえや、その子・知重ともしげらは熱心な阿弥陀信仰者であった。
また、八田氏と分流関係にある宇都宮氏にも、茨城県益子ましこに阿弥陀堂を建立した宇都宮朝綱ともつな重阿じゅうあ)や、その子で法然聖人の弟子となった宇都宮頼綱よりつな蓮生れんしょう)などがいる。

八田から大曽根へ

常福寺は後世、戦乱に巻き込まれ、天文10(1541)年、八田の地を離れ現在の茨城県つくば市大曽根に寺基を移した。
寺宝には、親鸞聖人真筆とされる「十字名号」や、「八字名号廿四輩連坐の御影」(親鸞聖人入信上人連座の御影)などが伝わる。また、筑波山の洞窟に住む餓鬼を親鸞聖人が済度したという伝説を表した「餓鬼済度の御影」が残されている。

『親鸞聖人 関東ご旧跡ガイド』(本願寺出版社)より引用

正式名称 佛名山玉川院 常福寺
住所 茨城県つくば市大曽根685-1
アクセス 自動車:常磐道「土浦北」ICを出て、国道125号線を西に約8キロ。県道53号線との交差点を左折して約3キロ。県道128号線との交差点を左折し約500メートル、信号のT字路を直進し150メートル先左側入る。
私鉄:つくばエクスプレス(TX)「つくば駅」よりタクシー15分。
バス:東京駅南口より常磐高速バス「つくばセンター行」センターよりタクシー15分。
駐車場 普通車10台
参拝 事前連絡が必要
お問合せ TEL 029-864-0257
URL http://jyoufukuji.e-tsukuba.jp

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