2026年 10月の法語・法話

世間的なことでは 心の底から満足できない そういうものが人間にある

Unable to truly find satisfaction in the material world― that is where we find our identity as a human being.

米沢 英雄

法話

よそ半世紀を経ても色あせない鋭さと深さを感じさせてくださる、福井県の医師、米沢英雄先生の言葉です。米沢先生をも超えて包む、人間の心底を見きわめた仏知見の言葉でしょう。

「思い通りにならないから苦しいが、思い通りになれば──」と信じて疑わないのが私ですが、「我欲 を満たすだけならば、たとえ思い通りになっても真の満足にはならない」と、私以上に私を知りとおす智慧こそが仏なのでしょう。

かつて林暁宇先生や谷田暁峯先生のもとで、一緒に聴聞していた滋賀県長浜のご婦人方がおられました。私が真宗本廟教化教導を拝命して間もない頃、皆でご来聴くださった時のことです。お誘いを受けて、泊まっておられた詰所を訪ねると、卓上には缶ビール、手作りのつくだ煮や漬物、山菜の煮物、さらに買い求めてくださったのであろう品々が所狭しと並べられていました。卓上を眺めながら、一人の老媼が話し始めました。

「百々海さんは、若いからわからんやろうけど、戦中戦後は農村でも食べ物が足りなくて大変だったのですよ。少ないお米をかさ増しするために大根を混ぜて炊くの。けど、美味しくないし腹持ちが悪い。当時は若かったから、すぐにお腹が空く。だから、「ああ、白いご飯をお腹いっぱい食べられたら死んでもいい」と、食事の度に思っていたのです。子どもを育て、農家を切り盛りして働いているうちに、豊かな時代になっていました。それで、ある時に気づいたのです。「お腹いっぱい食べられたら死んでもいい」と本気で思いこんでいた私が、好きなだけご飯をいただけるようになっても、毎日愚痴が出るのは何でだろう、と。「死んでもいい」どころではなく、文句が湧くのですよ。自分で自分がわからんようになりました。それからは「私はどうなりたいのか」を本気で如来さまに聞くようになったのです」と。

「自分で自分がわからんようになりました」。

実験の説ならではの迫真の告白であり、これほど確かな目覚めはないとも響きました。

どうなっても満足できないわが身だからこそ、本願に聞き続けるほかに道無し。老媼のその態度決定から、仏法聴聞は法話鑑賞でなく、物知りになることでもなく、また癒やしやこころのケアとも異なることをはっきりと教えられたご縁でした。

生活の安定を軽んじることなど、もちろんできません。ですが実現すれば当たり前になり、また粗が見えてくるのも事実です。

不思議なことですが、行き詰まりをこそ、「しらず、もとめざる」(『一念多念文意』聖典第二版666頁)、未知で求めようのない真の満足との唯一の接点に転じてくださるのが本願力でしょう。

「真さん。わしゃなぁ、何でこんなに背の低い男に生まれたのか、何でこんなに厄介な病身になったのかと今でも思うとるんやぞ。だからこそ、本願に遇わんとたすからんのや」との林先生の仰せが今も聞こえます。

百々海 真(どどみ しん)

1965年生まれ。東京教区東京6組了善寺住職。

  • 東本願寺出版(大谷派)発行『今日のことば』より転載
  • ※ホームページ用に体裁を変更しております。
  • ※本文の著作権は作者本人に属しております。

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