2026年 7月の法語・法話
The Pure Land means a world where a diversity of people can live in mutual harmony while holding on to their mutual differences.
坂東 性純
法話
人と一緒に何かをやろうとすると、壁にぶつかることがある。譲れないところでお互いに主張し、相手が間違っていると思い対立する。そんな時はなるべく穏便にと、自分が引いたことにして逃げたり、波風を立てないように避けたりする。
その場では一見、問題が解消されたように見えるが、結果的に価値観が対立していることに変わりはなく、ただ距離をとっただけで、実は何も解決していなかったりする。その集団の中で、同調圧力が働くと、ほんの小さな対立さえも回避したい気持ちがわいてきて、なおさら対立は見えなくなり解決から遠くなる。こうなってしまうと、解決どころかそもそも信頼関係が築けなくなる。
ある政治家が「女性がいる会議は長くなる」と言って問題になったことがあったが、長くなるのは、言葉で価値観のすり合わせをしているからだ。対立から逃げたり、対立を生まないように忖度してしまうと、相手に自分の主張を理解してもらったり、相手から譲歩を引き出したり、新しい提案で落としどころを探ることもできない。結局、声の大きな人の意見だけがテーブルに乗せられ、議論にもならずに決まってしまうのだ。当然、時間も短くなる。しかし声の小さな人の意見や、交渉次第では手に入るはずの選択肢まで闇に葬ることになる。それは議論の場と言えるのか。
皆さんは未就学児同士のけんかの仲裁をしたことがあるだろうか。幼い子どもは自分の言いたいことを的確に伝えるだけの十分な言葉を知らないので、すぐけんかになるし、言葉で表現できないがゆえに手が出てしまう。そこで園の先生が登場する。
絡まった糸を解きほぐし、痒い所に手が届くように見事に交通整理をしてくれる。子どもは自分の言いたいことを先生に代弁してもらい、自分の思いも相手の気持ちも理解できて、「ごめんなさい」で一件落着。そうやって徹底的に言語化することで、人間関係を学んでいくことの大切さを最近感じている。
対立は悪いことではない。私たちは一人ひとり違う環境で生まれ育ち、違う価値観を身につけてきた。対立するからこそ、言葉を尽くしてお互いのことを理解しあい、どうしたら一緒に生きていけるかを考えることができる。
一人の人間として、あなたが苦悩を抱えているのと同じように、あらゆる人が苦悩を抱えていて、その一人ひとり違う苦悩を貫く普遍性を、自分の中に見出し、目の前の人の中にも見出す。そこに「友よ」と言えるまなざしがある。
そうやってあらゆる人の苦悩に通ずる手がかりを、徹底的に言語化してきた歴史が仏教だと言えるのかもしれない。親鸞聖人はその中で、名号という「言葉」によって導かれる教えを選ばれた。それは私たちが言葉で迷う以上に、苦しみをきっかけに自己を明らかにする言葉にこそ出遇ってほしいという阿弥陀仏のご苦労に感動されたからだ。
浄土というのは調和している世界なのだと知らされて初めて、私のいるこの場所が調和の成り立たない世界だと見えてくる。そこから、知らされた者として、「ではどう生きていくのか」ということが私に与えられた仕事になる。
近藤 順子(こんどう よりこ)
1980年生まれ。東京教区東京3組念速寺住職。
- 東本願寺出版(大谷派)発行『今日のことば』より転載
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