2021年 12月の法語・法話

今日である あること難き 今日である

This day, the opportunity of which is indeed difficult to have, is today.

藤代 聡麿

法話

 小学生の頃、たまに父親に付いてお参りに出かけた。ただそれも中学生までであった。その後訪れた反抗期は長く、三十歳を過ぎるまで半ば家出状態が続いた。寺からも田舎からも仏教からも逃げた。

 田舎育ちの私にとっての都会生活は、若くて元気で目的がはっきりしている内は謳歌(おうか)できた。しかし、人間関係に疲れ、本当にやりたいことを見失い、現実逃避でしかない日々に気づくと「このままでいいのかな」などという空しさに見舞われた。そんなある日、記憶の外に追い出していたはずの、父の言葉が思い出された。

 父はお参りの場ではあまり難しい話はしなかった。定番の一つは、「『か』で始まる大事なものが三つある」というものであった。「一つは感動すること。もう一つは感謝すること。最後は考え直すということ」。これだけならよくある訓話のようなもので法話とは言えないのかもしれない。それでも、「なるほどなあ」と思って聞いていた。

 ある日、また今日も同じ話かと思って聞いていたら、父は一段声を落としてこう続けた。「まあ、自分の努力でそれができたら、仏さんは要らんわな」。子どもながらに「おとん、仏さん要らんて、そんな大胆なこと言うてもええんか」と驚いたのを覚えている。

 しかし、あれから五十年近くが経ち、この「話を聴いて驚く」ということが、本当に大事なことだと思えるようになった。驚くことで、耳以外の感覚も作動し、知らぬ間に記憶に刻まれる。そして、たとえ忘れてしまっても、あるきっかけで思い出す。驚きのない聴聞は、知識は増えても、生きて甦(よみがえ)ることはほとんどないようだ。

 四十歳を前に、縁あって教壇に立つことになった。中高生に宗教を教えるとなると、宗教と道徳の違いが気になり出したり、自力と他力の間に迷い込んだりするものだ。また、智者ぶる自分に気づき恥ずかしさを覚えたりもする。自己顕示と自己嫌悪の往ったり来たりである。そんな迷走のさなか、また父の言葉を思い出した。その時に思い出したのは、さらにその続きであった。

 「ええ人やから感動とか感謝ができるんやない。賢いから考え直せるんやない。本当のことに出会った時に、そうなるんや。身の上に起こるんや」。今思うに、そこに大事なことの全てがあった。

 藤代聡麿(ふじしろとしまろ)先生は明治から昭和にかけて、親鸞聖人(しんらんしょうにん)の教えに深く学ばれた曽我量深(そがりょうじん)先生に随行し、お話を聴き続けられた方である。戦争による貧困と恐怖、科学と医療の未発達による未知・無知・迷信。スペイン風邪(一九一八~二〇)に代表される今と同じようなウイルスの蔓延による不安。そして、情報が統制され本当のことが知らされないというのが当たり前の世の中。そんな時代の中で、仏法に出遇(で あ)い本当のことに気づかされた人の、心の底からあふれ出た感動と感謝の声が先の言葉なのだろう。だからこの言葉は「有り難き今日を大事に生きなさい」という道徳めいた教訓を示すのではない。きっとそうではなくて、そんなことにさえも気づかずに日々を無駄に過ごしていた自分に愕然(がくぜん)としながらも、気づけたこと、当たり前が当たり前ではなかったのだと「考え直す縁が整ったこと」に対する喜びの声なのだろう。

 仏法に出遇うと、できの良い人間になれるということではない。どうしようもない自分に気づかされ、それでもそんな自分として、できることを安心してやり、迷いながらも喜んで生きていくという生活が与えられる。そんな「あること難(かた)き」生活が始まるのである。
 「これからがこれまでを決める」。同じく藤代先生の言葉である。

乾 文雄(いぬい ふみお)

1964年生まれ。京都教区近江第5組正念寺住職。

  • 東本願寺出版(大谷派)発行『今日のことば』より転載
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