2021年 11月の法語・法話

人間そのものの目ざめを呼びかけるものが 如来の本願である

What calls to us human beings to awaken to our true self is the Tathagata’s Primal Vow.

中西 智海

法話

ある人が、映画館に映画を観に行きました。その映画館は自由席だったので、彼はより良い席に座りたいと思いました。彼は薄暗い中をもっと良い席へと次々に移動してゆきました。そしてとうとうその映画館の中では、音響も映像も最も良い中央の席に移ることができました。しかしその時には映画は終わってしまい、結局彼は映画を観ることなく、映画館を出て行きました。

これは人生を例えた話です。何のためにこの人間として生まれたのかという、本来の意味を呼び起こすのが仏法です。

日本の歴史上で最高の成功を収めた人と言えば、豊臣秀吉だといわれます。主君の草履とりから、天下人といわれるまでに出世した人です。しかし彼の辞世の句は、

露と落ち 露と消えにし 我が身かな
 浪速のことは 夢のまた夢

でした。露と消える夢のような、儚く空しい人生だったのです。

これは私が若い時、芝原郷音先生から聞いた、国務大臣や内閣官房長官、衆議院議長などを務めた保利茂さんについてのお話です。
保利さんはお祖父さんの影響で、小さい時からお寺に参ってお聴聞しておられました。国会議員になっても、国会議員こそお聴聞をしなくてはいけないと、築地聞真会という国会議員のお聴聞の会の立ち上げにも貢献されました。

その保利さんは、晩年、がんで東京の病院に入院されました。その時、本願寺築地別院(現・築地本願寺)に奥さまから電話があったそうです。
「本人が臨終法話に来ていただきたいと願っているのですが......」
そこで当時、別院の責任者である「輪番」という役職についていた芝原先生が病院に行かれたそうです。
ところが、病室に入っても何も法話をすることはなく、逆に保利さんのお話を聞くばかりであったといいます。ベッドに横たわった保利さんは、こう言われたそうです。
「私が大臣になった時、故郷に帰ると、多くの人が駅から我が家まで絶えることなく祝いの小旗を振ってくれました。また党の中でも長老になると、正月にはひっきりなしに若い国会議員が挨拶に来ました。ところが国会議員を辞職すると、故郷の駅に降りても誰も迎えには来ないし、こうやって入院しても、かわいがっていた若手の国会議員は誰も見舞いには来ません。花が届けられるだけです。
もし私が仏法に遇ってなかったら、これほど悔しく空しいことはないでしょう。でも私は仏さまの願いに遇い、お念仏の人生を歩みました。この人生で、それが一番有り難いことでした。ただいまより、お浄土の世界へ参らせていただきます」
その保利さんの葬儀では、「故人にとってこの人生の宝は三つあります」と告げられたそうです。それは門徒式章と念珠と聖典で、それを身に着けた姿が棺にあったそうです。

阿弥陀仏の願い、すなわち如来の本願は、私たちに何のためにこの人間に生まれたのか、人間そのものの目覚めを呼びかけ続けているのです。

福間 義朝(ふくま ぎちょう)

浄土真宗本願寺派布教使、布教研究課程専任講師、広島県三原市教専寺住職

  • 本願寺出版社(本願寺派)発行『心に響くことば』より転載
  • ※ホームページ用に体裁を変更しております。
  • ※本文の著作権は作者本人に属しております。

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