首相・閣僚の靖国神社参拝中止要請

私たちは、今年も「戦没者を追悼し平和を祈念する日」として8月15日を迎えます。その日は、日本が「大東亜共栄圏の確立」の名のもとに、「アジアの解放」という大義名分をかかげて戦った先の大戦が、日本人はもとより、アジア諸国をはじめとする世界中に多くの犠牲者をもたらし、かけがえのない人を失った方々の痛みや、悲しみの中に「敗戦」という形で終結した日なのであります。

それはまた、人間が「義」をかかげた時、いかなる殺戮をも正当化する論理を生み出すという人間の自己中心性の恐ろしさに驚き、人間存在の罪業性を新たに問いかける日でもあります。

私たちは、親鸞聖人を宗祖と仰ぎ「よろずのこと、みなもって、そらごとたわごと、まことあることなきに、ただ念仏のみぞまこと」(『歎異抄』)と示された教えに従いながら、人間の自己中心性が導き出す恐ろしさに深く心して生きるものであり、また、いのちの尊厳と平等を多くの人々とともに、日常の生活に実践せんとするものであります。

しかしながら、私たちもまた、先の大戦において、時の体制に追随して宗祖に背き、教えを歪曲し、多くの方々を仏法の名のもとに戦地に送り出し、また戦場となった国の人々に筆舌に尽くしがたい惨禍をもたらしました。私たち真宗教団連合に加盟するものは、この歴史の事実を直視し、教えを鏡として自らのあり方を厳しく問い直し、仏祖の前に深くその罪過を懺悔し、人間が人間のいのちを奪い合う「戦争」を二度と繰り返さない、非戦・平和の願いに立つことの決意を新たにするものであります。

靖国神社は、国家による目的遂行のための戦争に従軍し、そのためにいのちを失った戦死者を「英霊」として祀り、慰霊・顕彰するための一宗教法人であります。しかもそれは、遺族や靖国神社に祀られることのない多くの戦争犠牲者の悲しみと怒りの矛先を曖昧にし、国家の「義」を立てて行う戦争という殺戮を正当化する仕組みをもつ極めて特異な宗教施設であります。

また、戦後、私たちは尊い犠牲の上に「日本国憲法」を制定し、戦争放棄を謳い、信教の自由と政教分離の原則を定め「恒久平和」への願いを表明いたしました。政教分離の原則は、政治が特定の宗教を干渉保護することを禁止するとともに、特定の宗教と国家とが直接結びつくことを禁止した近代国家の政治と宗教の基本原則であり、人類の長年の経験が生み出した叡智であります。

したがって、国家による戦争を肯定し、新たな「英霊」を生み出していく目的をもった一宗教法人である靖国神社を、公職者である総理・閣僚が公式参拝されることは、これまで内外に宣言されている国の戦争責任の表明にも違背し、憲法の精神に背く違憲行為であることは明確であります。よって、靖国神社のもつ問題性を十分に認識され、総理・閣僚各位による靖国神社公式参拝を中止されますよう強く要請いたします。

特に近時の、森総理の「神の国」に端を発した一連の発言には、政教分離の原則を曖昧にする強い危惧を懐くものであります。私たちは、政治によって神をつくり出すという過去の過ちを二度と繰り返してはならないのであります。

今こそ、「戦争の世紀」といわれた20世紀から、新たな21世紀に向けて、「平和と共生」の国際社会を実現することが切に求められている時代であります。そのためにも、靖国神社公式参拝のもつ問題性を深く認識され、心豊かで平和な国際社会建設に向けて不断の取り組みを重ねられるよう併せて要望するものであります。

2000(平成12)年8月11日

真宗教団連合    
浄土真宗本願寺派 総長 蓮  清典
真宗大谷派 宗務総長 木越  樹
真宗高田派 宗務総長 安藤 光淵
真宗仏光寺派 宗務総長 川端 照道
真宗興正派 宗務総長 秦  正静
真宗木辺派 宗務長 高田 信昭
真宗出雲路派 宗務長 菅原  弘
真宗誠照寺派 宗務長 波多野 淳護
真宗三門徒派 宗務長 寺川 秀丸
真宗山元派 宗務長 佛木 道宗

内閣総理大臣
森  喜朗 殿

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