靖国神社公式参拝中止の要請

一九九七(平成九)年四月二日、愛媛県が靖国神社等へ玉串料などを公費から支出したことについて、日本国憲法の政教分離の原則に違反するとして住民が訴えた「愛媛玉串料違憲訴訟」の最高裁判所判決が出され、その結果は、裁判官の圧倒的多 数により、原告全面勝訴でありました。この判決は、憲法の政教分離の原則と信教の自由という基本的人権に深くかかわる問題について明確な判断がくだされたものであり、私達は、深い共感を覚えるものであります。

さて、本年も、「戦没者を追悼し平和を祈念する日」が近づいてきました。戦後 五十年が過ぎた今も「八月十五日」ほど、受けとめ方の異なる日はありません。日本では終戦記念日としていますが、アジア諸国等の人々にとっては侵略者日本からの解 放の日とされています。

総理・閣僚各位の靖国神社への公式参拝は、いかなる形式をとられようとも、近隣諸国にとってはかつてのあの悲惨な戦争へつながる行為と恐れられる行動であり、 また、「愛媛玉串料違憲訴訟」の確定判決文が示すとおり、日本国憲法の政教分離の原則を踏みにじる違憲の行為であり、決して許されるものではありません。したがって、国務を担任される公職にあられるまま参拝されることがないようここに強く 要請するものであります。

そもそも靖国神社は、国家神道体制を確立するため、極めて政治的な意図をもって明治政府により作られたのであり、国のためにいのちを捧げた人々のみを「英霊」として祀る特異な宗教施設であります。それは、戦死した人々を「英霊」とすることでその魂を和らげ鎮めると称し、それによって遺族の悲しみと怒りを変質させ、国家と一元化し国の戦争をどこまでも聖戦(偉業)として正当化し、国家の戦争責任を回避する機能を果たそうとするものであります。

したがって、総理・閣僚各位の靖国神社公式参拝は、国民に戦争の罪悪性を見失わせ、さらに、日本が先の大戦でかかわった日本人を含むすべての国の人々の苦しみと悲しみに心をよせることをも見失わせ、国のためにはいのちを捧げてもよいという観念を植え付けることによって、戦争を正当化する人々を再び育ててしまうという危惧を抱かざるを得ません。それは、民族や国家を越えて手をつなごうという世界の人々の根底にある願いに悖ることになります。

私たち真宗教団連合に加盟する各宗派は、自国の国民のみを見つめるのではなく 、全人類が視野にありつつ人間の在りようが課題となるという意味の「同一に念仏して別の道なきがゆえに、遠く通ずるに、それ四海の内みな兄弟とするなり(浄土論註 )」という、阿弥陀如来の浄土を自己の立脚地として生きられた親鸞聖人の教えに生きるものであります。しかしながら、その聖人の教えに背き、先の大戦を「聖戦」と 呼び積極的に国家に協力し、仏法の名のもとに多くの方々を戦地に送り出し、その結果アジア諸国等の人々に言語に絶する惨禍をもたらしたことを、深く懺悔するもので あります。この深い懺悔に基づき私たちは、毎年心を同じくする方々とともに、国家や民族を越えて、すべての戦争犠牲者の追悼の法要をお勤めし、平和な世界を希求いたしております。

総理・閣僚各位におかれては、靖国神社は、一宗教団体であることを認識され、憲法の政教分離の原則を遵守するとともに、過去の事実に眼を閉ざすことなく、世界の中の日本として、日本人のみならずアジア諸国等のすべての戦争犠牲者に深く思いをいたされ、慎重な行動をとられるよう切望します。

一九九七(平成九)年八月七日

真宗教団連合    
浄土真宗本願寺派 総長 豊原 大成
真宗大谷派 宗務総長 能邨 英士
真宗高田派 宗務総長 安藤 光淵
真宗佛光寺派 宗務総長 脇阪 義幸
真宗興正派 宗務総長 福家 弘之
真宗木辺派 宗務長 高田 信昭
真宗出雲路派 宗務長 小泉 宗之
真宗誠照寺派 宗務長 安野 亮雄
真宗三門徒派 宗務長 寺川 秀丸
真宗山元派 宗務長 藤堂  尚

内閣総理大臣
橋本 龍太郎 殿

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