靖国神社公式参拝中止の要請

本年も、「戦没者を追悼し平和を祈念する日」が近づいてきました。この「八月十五日」ほど、受けとめ方の異なる日はありません。日本では終戦記念日としていますが、アジア諸国等の人々にとっては侵略者日本からの解放の日とされています。

総理・閣僚各位の靖国神社への公式参拝は、いかなる形式をとられようとも、近隣諸国にとってはかつてのあの悲惨な戦争へつながる行為と恐れられる行動であり、また、日本国憲法の政教分離の原則を踏みにじるものでもあり、決して許されるものではありません。したがって、公職にあられるまま参拝されることがないようここに強く要請するものであります。

そもそも靖国神社は、明治政府の国家神道体制の中で作られた、国のためにいのちを捧げた人々のみを「英霊」として祀り、その他の犠牲者と差別する特異な宗教施設であります。それは、戦死した人々を「英霊」とすることでその魂を和らげ鎮めると称し、それによって遺族の悲しみと怒りを変質させ、国家と一元化し国の戦争をどこまでも聖戦(偉業)として正当化し、国家の戦争責任を回避する機能を果たそうとするものであります。

したがって、総理・閣僚各位の靖国神社公式参拝は、国民に戦争の罪悪性を見失わせ、さらに、日本が先の大戦でかかわった日本人を含むすべての国の人々の苦しみと悲しみに心をよせることをも見失わせ、再び国のためにはいのちを捧げてもよいという観念を植え付けることによって戦争を正当化する人々を育ててしまうという危惧を抱かざるを得ません。それは、民族や国家を越えて手をつなごうという世界の人々の根底にある願いに悖ることになります。

私たち真宗教団連合に加盟する各宗派は、人間を見つめる上で、自国の国民のみを見つめるのではなく、いつも世界の人々が視野にあり、全人類が視野にありつつ人間の在りようが課題となるという意味の「同一に念仏して別の道なきがゆえに、遠く通ずるに、それ四海の内みな兄弟とするなり」という、阿弥陀如来の浄土を自己の立脚地として生きられた親鸞聖人の教えに生きるものであります。しかしながら、その聖人の教えに背き、先の大戦を「聖戦」と呼び積極的に国家に協力し、仏法の名のもとに多くの方々を戦地に送り出し、その結果アジア諸国等の人々に言語に絶する惨禍をもたらしたことを、深く懺悔するものであります。

そして連合に属する全国二万二千ヵ寺の寺院と所属する門徒では、心を同じくす る方々とともに、国家や民族を越えて、すべての戦争犠牲者の追悼の法要をお勤めし 、平和な世界を希求いたしております。

したがって、政治の力で「神」を作り、自国の戦没将兵のみを祀るという極めて意図的な施設に、国家権力の代表である方々が公式に参拝されるという行為は、仏教者として絶対に容認できるものではありません。

戦後五十年が過ぎました。しかし、戦争の悲惨な歴史の事実を風化することなく、その過去に学び、過去の事実から現在の私たち日本人がつねに問われていることを憶念することこそ、この「八月十五日」の大切な意義であります。

総理・閣僚各位におかれては、靖国神社が現在一宗教法人であることを認識され、憲法の政教分離の原則を遵守するとともに、過去の事実に眼を閉ざすことなく、世界の中の日本として、日本人のみならずアジア諸国等のすべての戦争犠牲者に深く思いをいたされ、世界平和実現の使命を果たすべく、慎重な行動をとられるよう切望します。

そして、私たち真宗教団連合の仏教者は、総理・閣僚各位が、徹底した平和思想を国家の最高理念としながら、世界平和のリーダーシップを積極的におとりいただくよう強く要請するものであります。

一九九六(平成八)年八月七日

真宗教団連合    
浄土真宗本願寺派 総長 松村 了昌
真宗大谷派 宗務総長 能邨 英士
真宗高田派 宗務総長 安藤 光淵
真宗佛光寺派 宗務総長 梨本 哲雄
真宗興正派 宗務総長 日野 淳勝
真宗木辺派 宗務長 窓岡 秀道
真宗出雲路派 宗務長 小泉 宗之
真宗誠照寺派 宗務長 安野 亮雄
真宗三門徒派 宗務長 寺川 秀丸
真宗山元派 宗務長 藤堂  尚

内閣総理大臣
橋本 龍太郎 殿

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