靖国神社公式参拝並びに国家護持に関する要請

昨年来、政府自由民主党の動きとして、靖国神社への公式参拝と国家護持の再検討が報道され、大きな波紋をなげかけ、国民の間においても賛否が論ぜられております。今日のわが国の繁栄は、過去の悲惨な戦争において、軍人及びその他多くの国民が国家のために命を捧げられた犠牲と代償によってもたらされ、また深い反省と懺悔の上に立つ国民の平和への努力によって築かれたものであります。かかる意味において、これ等の戦没者に対し深く哀悼の念と国民的弔意を表することにいささかも反対するものでありません。しかし、今後国際的な協調と活躍が期待され、平和国家として世界に貢献すべきわが国にあって、報道されるような公式参拝・護持法案の再検討等靖国神社の国家的運営を意図するような行為は、閉鎖的・独善的な国家への道につながり、戦争を美化する方向に国民を導きかねません。わが国と世界の平和を願う多くの国民の願いに違うものであります。

われわれは、日本国憲法の「信教の自由」・「政教分離」の原則の精神を尊重すると共に、これに違反し国民の将来を誤らしめることのないよう慎重に対処されることを要請します。

一、

戦争によって尊い生命を失った方々は、軍人軍属に限らず、原爆や戦災によって亡くなられた方々、学徒動員による犠牲者もまた戦没者であり、これらの方々にもひとしく哀悼の念を表するためには、国民がそれぞれ持っている宗教的信仰と矛盾したものであってはならないはずであります。

それ故に、靖国神社を国家護持することは、神社という名称を冠し、神社としての儀式を執行し、神社としての形を取る限り一特定の宗教を強制することになり、適切でありません。さらに靖国神社を宗教でないとするならば、国家が勝手に宗教を宗教でないとすることができることになり、「信教の自由」「政教分離」の原則を明確に規定した憲法第二十条第八十九条に違反することになろうと思います。

国家的弔意を表する施設をつくるのであるならば、全ての宗教がそれぞれの宗派の儀式に従って、自由に宗教的行為が行われることが前提であり、廟墓的な形態を取るべきであります。かかる形を取ることによって、始めて諸外国の人々もわが国民と同じように哀悼の念を表することができ、国際的な平和の道につながる施設となることを確信します。

二、

靖国神社法案が国会に提出されて以来、真宗教団連合として、過去二度(昭和四十六年二月・四十九年五月)にわたって別紙のとおり要請をいたしてきていることであります。

現に一宗教法人である靖国神社の神社としての性格を保持しつつ国家護持に道を開くことは、神社を他の宗教と次元を異にし、且つそれらに超越する民族的国家宗教であり、また国民道徳であるとした過去の過ちを再び犯すことになります。こうした見解に国民を向かわしめることは、「信教の自由」を犯すばかりでなく、健全な政治意識・宗教意識の双方を混濁せしめ、恐るべき精神的混迷に導くものであります。

私たち真宗教徒は、わが国の政治の公正な進展と国民の健全な宗教精神の発揚を願い、このような靖国神社国家護持に道を開くような動きは、断固すべきでないことを申し入れるものであります。

昭和五十六年八月十三日

真宗教団連合    
浄土真宗本願寺派 総長 豊原 大潤
真宗大谷派 宗務総長 五辻 實誠
真宗仏光寺派 宗務総長 梨本 哲雄
真宗興正派 宗務総長 園   脩
真宗木辺派 宗務長 浅井 自香
真宗出雲路派 宗務長 柴田  円
真宗誠照寺派 宗務長 児玉 義諦
真宗三門徒派 宗務長 遍照 輝応
真宗山元派 宗務長 嶺山 大誠

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