2023年 表紙の法語・法話

親鸞聖人の出現は私一人のためであった

Shinran Shonin came into this world for my benefit alone.

横超慧日

法話

今日の世界は混迷が続いて出口の見えない苛立ちと不安を感じます。あたかも暗闇の中で光を求めて右往左往しているようです。正しいと言われることが、本当に正しいのか。人々を救うと言いながら争いを起こし、かえって自他ともに苦しんでいるのではないか。私たちが直面している問題は、いずれもが容易に解決の方途が見出せないものばかりです。しかしその問題の大本は、要するに「人間とは何か」ということを人間自身が見定められなくなりつつあるところにあるのではないかと思います。人間が人間としてどう生きるべきかという確かな依りどころを失い、自分はどう生きたらよいか分からなくなってきたのが現代の根本問題です。

私たちは学校教育で、常に唯一の正しい答えを教えられてきました。ところが、今日のような混迷の時代には、答えよりもむしろ正しい問いが大事なのではないかと思います。例えば、二つの国が国境で対峙し、相手の国に「いかに打ち勝つか」と考えるのは正しい問いではないでしょう。そうではなく「いかに真に友好を深めるか」と問う方が人間として正しい問いだと思います。今、私たちは正しい問いを立て、そして真摯にその答えを聞こうとする耳を持つことが大事です。

学生時代に卒業論文を書いている時、しばしば先行きが見えなくなって書けなくなることがありました。そのような時に、恩師の講義を聞いてとても大事なヒントを得たことがありました。あたかも恩師は私が論文で困っていることを熟知しておられ、私のために導きを与えてくださったように感じたことがあります。恩師の一言を聞き、「ああ、そういうことであったか」と納得し、自分の悩みが解決されて感動を覚えたものです。

この法語の「親鸞聖人の出現」とは、承安三(一一七三)年のご誕生のことです。聖人は建仁元(一二〇一)年二十九歳の時、今までのいろいろな修行を止めて弥陀の本願に帰依する決心がついたことを「雑行を棄てて本願に帰す」(『真宗聖典』三九九頁)と『教行信証』に記されています。この尊い回心は、ご誕生という事実によって齎(もたら)されました。そして親鸞聖人によって真実の教えが開顕されたことが、私一人にとっていかに重大であるかということに気づけば、親鸞聖人の出現の意義が自ずから明確になるのです。

親鸞聖人の『教行信証』は真宗の根本聖典です。この聖典には「無碍の光明は無明の闇を破する恵日なり」(『真宗聖典』一四九頁)と説かれています。私たちは己の生き方に悩み苦しみ、何事も思い通りにならないと不平と不満を募らせていますが、実はその迷いの根本が無明であることに気づかせていただくのです。光によって闇夜がたちどころに消えるように、阿弥陀仏の智慧の光明によって無明の闇が破せられます。

親鸞聖人によって明らかにされた真実の教えは、言うまでもなくすべての人々に説かれています。しかし、その教えを聞く者から言えば、私一人のためという思いになるものです。私たちが真宗の教えを聞く「縁」に遇った時に、心底から「親鸞聖人の出現は私一人のためであった」という知恩報徳の念が呼び起こされるのです。

木村 宣彰(きむら せんきょう)

1943年生まれ。大谷大学名誉教授。高岡教区第3 組報土寺住職

  • 東本願寺出版(大谷派)発行『今日のことば』より転載
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