
−創立以来780余年 この地に移って400年余−
当山は親鸞聖人をご開山として、その法脈を相承する真宗興正派の本山であります。
承元元年(1205)の念仏停止により、親鸞聖人は越後に配流されましたが、寺伝によれば、その翌建暦2年(1212)越後から京都に帰られ、山城郡山科の郷に一字を創建し、“興正寺”と名づけられました。その後、聖人は阿弥陀仏の本願をひろめるため関東行化に旅立たれました。
次いで、順徳天皇より「興隆正法」の勅願を賜り、真宗念仏宣布の根本法城となったのであります。
第七世了源上人は、元応2年(1320)、寺基を洛東竹中の庄、汁谷(渋谷)に移され、ご本尊が光明を放った霊顕により、後醍醐天皇より、「阿弥陀仏光寺」の勅号を賜り、以来一山両号を用いたのであります。その後、故あって、文明13年(1481)、第十四世蓮教上人(経豪)は興正寺を山科西野に再興し、仏光寺はその弟教誉上人が継ぎ、両山に分かれたのであります。
蓮教上人は本願寺の蓮如上人と力をあわせて念仏弘通に奔走されましたが、天文元年(1532)8月、兵火にかかって山科興正寺は焼失し、第十五世蓮秀上人は幸いにつつがなきをえたご真影を供奉して大阪天満に法燈をかかげられました。これが天満本山であります。
天正19年(1591)第十七世顕尊上人の時に至り、本願寺と共々に寺基を現在の地に移されました。このように蓮教上人以来、興正寺は本願寺と行を共にしていましたが、明治9年、第二十七世本寂上人は興隆正法の実を挙げるべく、敢然として別派独立されたのであります。
明治35年11月、不慮の火災により、本堂その他、ほとんど灰燼に帰する不幸が起こりました。この本堂は起工から、実に128年の年数をかけ、日光の本廟・知恩院の三門とともに、日本三建築の一つと称せられた壮大華麗な大伽藍でありました。惜しみても余りあることであります。
第二十八世本常上人は直ちに再建の工を起こされ、明治45年、現在の両堂大伽藍が京洛の地にそびえ立つに至ったのであります。実に驚嘆すべき門信徒の信仰と報恩の力の結晶であります。
山科に興正寺が建立されてより、ここに780余年、幾多の変遷を経ながら法燈は連綿と輝いて今日に至っているのであります。

鐘楼は境内東南のすみにあり安永3年(1774)、皇太后恭礼門院が先帝桃園天皇の忌に当たり、梵鐘と共に寄進されたもので、鐘楼に階層を設けているのは特別に許されたものである。

経蔵は嘉永元年(1848)竣工。孝明天皇より「法宝蔵」の勅額が下賜された。額字は右大臣近衛忠熈公の筆。経蔵に勅額の下賜されたのは異例のことである。

興正会館は地上3階、地下1階で、宿泊施設の外、研修室、会議室、和洋兼用ホールがある。駐車場完備。
本山での宿泊、研修等に大いに活用していただきたい。なお、門信徒の宿泊は原則として派内寺院の紹介が必要。
| 1月1日 | 修正会 |
| 正当の御忌日 | 歴代門主祥月法要 |
| 1月25日 | 法然上人祥月 |
| 2月22日 | 聖徳太子祥月 |
| 3月7日間 | 春季彼岸会 |
| 4月上旬 | 春の法要 |
| 7月14日・15日 | 孟蘭盆会 |
| 9月7日間 | 秋季彼岸会 |
| 11月21日より28日 | 報恩講 |
| 12月31日 | 除夜 |
