
天安2年(西暦858年)比叡山三代座主慈覚大師円仁の御指示で、木部の地に御堂が建てられ毘沙門天王像が安置されました。
それから三百数十年後、親鸞聖人が関東から京都に還ろうとされた途中に、この天安堂に歩みを留められました。(1235年聖人63才)地頭の石畠氏(那須氏の一族)をはじめ、近在の人々が聖人のお通りを伝え聞いて馳せ参じ、ご滞在を乞いました。

聖人は笈におさめて常にお持ちになっていた阿弥陀如来の御尊像(茨城県の霞ヶ浦の湖中より得たと伝わり、関東にもその伝説が残っている)を安置されて浄土真宗の教えをお説きになりました。この時から浄土真宗の湖東における中心になりました。
歴仁元年(1238)天女が蓮の糸で織った紫紅の錦を捧げて仏徳を賛美するという不思議なことがあって、このことを伝え聞いた時の四條天皇は「天神護法錦織之寺」の寺号と額を下されました。
御影堂は『教行信証』が完成した歓びのようすを、門侶の懇願によって画かれた「満足の御影」とよぶ画像を掲げています。
この「満足の御影」や「笈掛の松」また当寺の付近にある聖人のお座りになったむしろを焼いたという「やいたの河原」、聖人のお持ちなっていた藤の枝が芽を出して繁ったという「藤塚」は、すべて聖人をお慕いするよすがとして残されています。
聖人が田圃に働く人々に教えて下さったと伝わる歌のふしは現在の御和讃の中にも収められて、当山声明の根幹となり、「上管声明」と称して今日も御正忌等に在家の青壮年によって奉誦されます。
創建以来再度にわたる火災の為に、現在の建物は元禄年間以後再建されたものばかりですが、両堂表門などは江戸期建造の特徴を示しています。書院、大広間は東山院(江戸初期)の御常御殿を賜ったもので、これらの建物を囲んだ庭園は元禄の再建以前の石組が残されているようです。
当時は親鸞聖人御帰洛の後、性信、善性、願明、愚咄と法統が継承されました。1350年前後に聖人ひ孫に当たる存覚上人(本願寺三代覚如上人の長子)とその子慈観上人が来住され、広く教勢を広げました。その後、本願寺に蓮如上人が出られやや衰退したのですが、天正元年(1573)門跡寺院たることを認められると共に、菊の紋章使用の許しを受けています。 当寺第十四代良慈上人は、京極家親王の猶子で、享保19年(1734)御入山なさり、江戸時代の真宗四ヶ本山の一つとして一派の興降に尽力なさいました。
また第二十代孝慈上人は西本願寺明如上人の息男で西域探検で高名な大谷光瑞師の弟、歌人九條武子夫人の兄にあたり、明治29年に入山され、明治大正昭和の激動の中で、宗風宣揚に努められました。
第二十一代宣慈上人は天文学に造詣深く、天体望遠鏡のレンズ制作で吉川英治賞を受けられました。
| 1月1日 | 修正会 |
| 1月16日 | 天安堂建立記念法要 |
| 3月10日 | 涅槃会 |
| 3月の1週間 | 春季讃仏会(彼岸会) |
| 5月16日 | 宗祖ご来錫記念法要 |
| 5月21日頃3日間 | 春季法要 宗祖降誕会・戦没者追弔会・初参式・成人式他 |
| 8月13日~16日 | 歓喜会(お盆)法要 |
| 9月16日 | 錦織寺開創記念法要 |
| 9月の1週間 | 秋季讃仏会(彼岸会) |
| 11月21日~28日 | 御正忌報恩講 菊華展・お講・仏婦大会・生け花展・茶席他 |
| 12月31日 | 除夜会 |
