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私どもが戦死者を追悼することと、国が戦死者を「英霊」として祀ることとは、まったく意味が違います。
国が靖国神社という特定の宗教施設で、戦死者を英霊として祀り、顕彰することは明らかに間違いです。
戦死者は英霊であると、国の名において意味づけてもらいたいという、遺族の方々の心情はわかりますが、追悼は私どもの宗教心においてなされることであって、国が行う事柄ではありません。
明治元年(一八六七)の太政官布告に「向后王事ニ身ヲ殲シ候輩、速ニ合祀セラルベク候間、天下一同此旨ヲ奉戴シ、益々忠節ヲ抽ズベシ」とありますが、簡単に言えば「天皇のために死んだ者は、直ちに神として祀るから、国民みな忠節を尽くせ」ということのようです。
ここに靖国神社の目的と、国が戦死者を祀ることの意味が見い出されます。ですから、国が戦死者を祀ることは、つづまるところ過去の戦争を肯定し、美化し、正当化することにつながります。
この布告の「向后」とは「これから後」ということですから、無限に靖国神社の祭神が増えつづけることを予測しているのでしょうか。「国が祀ってくれればありがたい」というのでは、あまりにも安易な考え方と言わなければなりません。
「英霊にこたえる道」は、再び英霊をつくらぬことにあるのではないでしょうか。
国や政治はあくまでも世界の平和のため努力すべきであり、そのことが真に戦死者にこたえる道だとおもいます。 |