事業
靖国問題パンフレット

パンフレット1.靖国問題にとりくもう パンフレット3.靖国問題と真宗
パンフレット2.靖国問題を考えよう パンフレット4.念仏者とヤスクニ


靖国問題パンフレット1

靖国問題にとりくもう

問靖国神社への「公式参拝」が、なぜ問題になるのでしょうか。

答

靖国神社は言うまでもなく神道という特定の宗教に基づく団体、施設です。そこに、首相、閣僚、国会議員、知事等が公人として参拝するのは、一宗教に対して国や都道府県が特別な扱いをし、特権を与えることになるわけです。それは、それぞれの宗教は皆平等だとする憲法の精神にそむきます。そればかりか、宗教という人間精神の奥底に政治が関わることになりますから、決して許してはならないのです。

わが国には、いろいろな宗教団体があって、それぞれに信者がおります。
もし、国が特定の宗教と結びついたら、どういうことになるでしょうか。宗教を国によって押しつけられることは、個人の信仰の自由が侵されることになりませんか。信仰は、人間の心の中の尊厳に関わることですから、国がこれに干渉することは、その自由を奪うことになるのです。この自由が失われると、人間が人間として生きてゆくために最も大切な基本的人権は、まったく破られてしまいます。ですから、信教の自由が憲法で保障されているのであります。

「政治は宗教に手を出すな」。これは日本が悲惨な戦争によって学んだ、尊い教訓であったはずです。それなのに、早くもそのことを忘れて、「国のために命を捧げられた英霊を祀る靖国神社に、首相や閣僚が公式参拝できないとは何事だ。遺族の気持を考えろ」と、公式参拝の実現をうながす運動が盛んになされています。

しかし、今、靖国神社への公式参拝を許すことは、国が神道と結びついて、国民へその宗教(参拝)を強制することになりかねません。それは、やがて自由にものが言えない暗黒の時代をもたらす危険性があります。
ですから。靖国神社公式参拝には賛成できないのです。



問
国のために戦死した人を英霊として祀るのが、なぜいけないのですか。

答

私どもが戦死者を追悼することと、国が戦死者を「英霊」として祀ることとは、まったく意味が違います。

国が靖国神社という特定の宗教施設で、戦死者を英霊として祀り、顕彰することは明らかに間違いです。
戦死者は英霊であると、国の名において意味づけてもらいたいという、遺族の方々の心情はわかりますが、追悼は私どもの宗教心においてなされることであって、国が行う事柄ではありません。

明治元年(一八六七)の太政官布告に「向后王事ニ身ヲ殲シ候輩、速ニ合祀セラルベク候間、天下一同此旨ヲ奉戴シ、益々忠節ヲ抽ズベシ」とありますが、簡単に言えば「天皇のために死んだ者は、直ちに神として祀るから、国民みな忠節を尽くせ」ということのようです。

ここに靖国神社の目的と、国が戦死者を祀ることの意味が見い出されます。ですから、国が戦死者を祀ることは、つづまるところ過去の戦争を肯定し、美化し、正当化することにつながります。
この布告の「向后」とは「これから後」ということですから、無限に靖国神社の祭神が増えつづけることを予測しているのでしょうか。「国が祀ってくれればありがたい」というのでは、あまりにも安易な考え方と言わなければなりません。
「英霊にこたえる道」は、再び英霊をつくらぬことにあるのではないでしょうか。

国や政治はあくまでも世界の平和のため努力すべきであり、そのことが真に戦死者にこたえる道だとおもいます。



問靖国神社のどこが問題なのですか。

答

もちろん、靖国神社を信仰し参拝することは、まったく個人の自由であります。また、靖国神社に戦死者が祀られることで、心が慰められる遺族もおられることでしょう。
そのことは別にとやかく言うことではありませんが、戦死者の霊を神として祀る信仰と、真宗の「本願を信じ念仏をもうさば仏になる」教えとは、まったく相容れないものであります。私ども門徒は、このことをはっきりと理解しておきたいものであります。

靖国神社は、明治になって偏狭な国家主義に奉仕するためにつくられた(軍国)神社ですから、わが国古来の考え方とは違うものがあります。歴史を見ればわかるように、日本人固有の宗教感情は、敵味方の別なく追悼するのが伝統なのです。「怨親平等」の教えを思い出してください。

私どもは、ここでよく親鸞聖人の教えられたことをかみしめ、方向を間違えないようにしたいものです。

かなしきかなやこのごろの
和国の道俗みなともに
仏教の威儀をもととして
天地の鬼神を尊敬す

(正像末和讃)



昭和61(1986)年3月1日発行


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